2006年06月18日 15:42
家では、食べるご飯がない日もあった洋七さんにとって、
学校の給食は、最高のフルコースであり、
栄養補給の場でもありました。
しかし、年に1回の運動会の日は、お弁当でした。
洋七さんのお弁当は、ご飯と梅干しと
ショウガだけの質素なものでした。
お昼になって、
「みんな、お父さんお母さんとお弁当を食べてください」
というアナウンスが流れると、
他の子どもたちは、応援に来ている家族
のところでお弁当を食べます。
それも豪華なおかずが入ったお弁当です。
洋七さんのおばあちゃんは、運動会には来てくれず、
孤独で辛くなった洋七さんは、
一人で教室に入り、
梅干しとショウガのお弁当を食べようとします。
すると、担任の先生が入ってきて、
「おう、ここにいたか。お前の弁当と取り替えてくれんか?
先生は、腹が痛くなってしまってな。
お前の弁当には梅干しとショウガが入ってるって?
助かった、替えてくれ」
こうして先生の弁当と取り替えてもらった洋七さんは、
弁当箱のフタを
空けて、歓声を上げます。
卵焼きにウィンナーにエビフライと、
見たこともないような豪華な料理が
入っていたのです。
そして、次の年の運動会の日も、
教室でお弁当を食べようとすると、先生が
「腹が痛くなったので、弁当を替えてくれ」
と言いながら入ってきました。
さらに次の年、
担任の先生は女の先生に代わっていましたが、
やはり運動会の日になって、
教室で弁当を食べようとすると、
その先生が入ってきて、
「ここにいたの?
先生、おなかが痛くなっちゃってね」
こうして毎年、運動会の日になると、
洋七さんの担任の先生は、
腹痛をおこしました。
それが、
「自分に気をつかわせまいとしてやってくれていたことだ」と
わかったのは、小学校6年生になってからだったそうです。
(「佐賀のがばいばあちゃん」 島田洋七 著、徳間書店 より)